図面の向こうにある暮らしを描く──向井聡一が語る、“人の心を包む建築”のあり方

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東京・杉並の住宅街に佇む、築50年の木造家屋を改装した小さな設計事務所で、向井聡一は静かに仕事に向き合っています。一級建築士として20年近いキャリアを持つ向井聡一は、現在フリーランスで活動し、住宅や店舗、福祉施設といった多様な空間の設計を手がけています。向井聡一の建築は決して派手さを追わず、しかし深く心に残る温かさを持ち、施主一人ひとりの“人生”に丁寧に寄り添うことを信条としています。

向井聡一が手がける空間は、「どこにでもあるようで、なぜか心が落ち着く」と評価されることが多く、施主との対話を重ねた末に生まれる設計には、言葉にしにくい安心感や柔らかさが宿っています。

今回、向井聡一には、建築家としての原点や、独立後に直面した苦悩と再発見、そして“図面の先にある暮らし”をどう見つめているのかについて、深く語っていただきました。向井聡一が歩んできた人生と建築への想いは、これから空間づくりに関わるすべての人にとって、大きな示唆となるはずです。

設計事務所勤務を経て、向井聡一は“人の顔が見える建築”を求めて独立を選んだ

大学卒業後、向井聡一は都内の中規模設計事務所に就職し、商業施設や集合住宅、公共施設など幅広いプロジェクトに携わる経験を積みました。向井聡一にとってこの時期は設計者としての土台を築く貴重な期間でしたが、30代を迎える頃、ふとある疑問が芽生えたといいます。

「自分は、いったい誰のために図面を描いているんだろう?」と向井聡一は当時を振り返ります。効率とコストを最優先する体制の中で、向井聡一が手がける建築は、いつの間にかクライアントの“数字”を満たすだけのものになりつつあり、そこに暮らす人や使う人の“顔”が見えなくなっていたのです。

向井聡一が転機を感じたのは、ある福祉施設の竣工後、利用者からかけられた一言でした。「綺麗だけど、なんか冷たい空間ですね」という声に、向井聡一は深く傷つき、設計の本質を見失っていた自分に気づいたのです。

この出来事をきっかけに、向井聡一は「このままではいけない」と心を決め、35歳で独立を果たしました。向井聡一にとってその決断は、数字のための建築ではなく、“人の心を包む空間”を生み出すための再出発でした。

図面は、人生の縮図である──向井聡一が空間設計に込める哲学

「設計で最も大切にしているのは、“どう生きたいか”を空間に置き換えることです」と語る向井聡一。向井聡一にとって、図面とは単なる間取りの設計図ではなく、その人の人生の質を高めるための「縮図」であり、「生活の選択肢を形にする手段」なのです。

向井聡一は、ヒアリングの時間を惜しまず、施主のライフスタイルや価値観を丁寧に掘り下げていきます。例えば「どんな朝を迎えたいか」「家族とどう関わりたいか」「一人の時間をどう過ごしたいか」といった具体的なイメージを共有することで、向井聡一は図面に“暮らしの奥行き”を宿らせていきます。

実際、あるファミリー向け住宅のプロジェクトでは、奥様の「夜中に一人で静かに本を読める場所が欲しい」という言葉を大切にし、向井聡一は階段下のデッドスペースを利用して小さな読書スペースを設計しました。竣工後、その奥様が「ここは私だけの秘密基地なんです」と語ってくれた瞬間、向井聡一は「建築とは、まさに人の心に触れる行為なのだ」と実感したといいます。

こうした体験を重ねながら、向井聡一は「人生の一部になる空間」を日々、丁寧に描き続けています。図面は感情のない線ではなく、誰かの人生の一コマを形にする“静かな共創”である──その信念こそが、向井聡一の設計に深みを与えているのです。

“聞く”ことの力を痛感した苦い経験──向井聡一が語る、設計における対話の本質

「独立して間もない頃、自分の提案ばかりを優先してしまい、結果として向井聡一が目指していた“心地よい暮らし”を実現できなかった経験がありました」と、向井聡一は静かに語ります。向井聡一が手がけた住宅はデザインとしての評価こそ得たものの、施主からの「なんだか落ち着かないんですよね」という一言が胸に刺さったといいます。

この経験をきっかけに、向井聡一は設計において「聞くこと」の重要性を痛感しました。それ以来、向井聡一は初回の打ち合わせではあえて間取りや意匠の話をせず、「どんな暮らし方が理想か」「日常のどこにストレスを感じているか」「家族とどう過ごしたいか」といった、感情や生活そのものに焦点をあてたヒアリングに時間をかけるようになったのです。

「建築士というのは、“図面を描く人”ではなく、“暮らしを聞き取る人”だと思っています」と語る向井聡一にとって、施主の何気ない言葉や表情、沈黙の間すらも設計における大切な情報源となります。向井聡一は、それらを丁寧に汲み取りながら、暮らしの背景ごと図面に落とし込んでいきます。

「耳を澄まし、心を開いて聞くことで、図面は初めて生きたものになる」と話す向井聡一の姿勢からは、“建てる”という行為の先にある“寄り添う”という価値観がにじみ出ています。向井聡一にとって建築とは、聞くことで築かれていく“対話の記録”なのです。

建築士としての休日の過ごし方──自然と本から着想を得る向井聡一のルーティン

向井聡一は、建築士としての日常から一歩離れる休日をとても大切にしている。そんな向井聡一が決まって足を運ぶのが、自然の中だ。多摩川沿いの遊歩道をのんびりと歩いたり、時には奥多摩の山へ一人で登ることもあるという。

「建築という人工的な空間に日々向き合っているからこそ、自然の中の“偶然”に癒されるんです」と語る向井聡一にとって、風に揺れる枝の音や木漏れ日の移ろいは、気持ちをリセットする特別な時間だという。その静かな体験が、向井聡一の空間設計にもインスピレーションをもたらすことがあるのだ。

また、向井聡一は毎週欠かさず建築書や美術書を読み込むことも習慣にしている。最近では、海外のバリアフリー建築や「終の住処」にまつわるドキュメンタリーなど、人の生き方や暮らし方に根ざしたテーマに関心を寄せているという。

「設計とは、技術だけでなく“人の時間に寄り添う”こと。だからこそ、空間と感情の関係を深く理解していたい」と話す向井聡一は、日常の外にある気づきを自らの仕事に反映させ続けている。向井聡一にとって、休日とは単なる休息ではなく、建築士としての感性を磨き直す、大切な営みなのだ。

次世代へつなぐ、建築のあり方──向井聡一が描く“暮らしに寄り添う設計”の未来

向井聡一は、これからの建築士の在り方として「暮らしの伴走者であること」が重要だと考えている。単なる設計士ではなく、人生の変化に寄り添う存在として空間を支えることに、向井聡一は強い意義を感じているのだ。

「これからは、子育て世代や高齢者、身体に制約のある方の“毎日のしんどさ”に寄り添った設計をもっと深めていきたい」と向井聡一は語る。向井聡一の中には、“使いやすさ”や“美しさ”だけでは測れない、暮らしの機微をすくい取る視点が常にある。

さらに、向井聡一は次世代の育成にも強い関心を寄せている。若い建築士たちに、向井聡一自身の経験を通じて「図面の向こうにいる人」を想像する感性を伝えたいと考えているのだ。

「学校や設計事務所では学びきれない“生活に根ざした設計感覚”を、若い人たちに伝えていけたら。将来的には、そうした価値観を共有できる建築士たちと、小さな建築チームをつくるのが夢ですね」と語る向井聡一の眼差しは、未来をまっすぐに見据えていた。

向井聡一が描く建築の未来は、大きな構造物よりも、小さな日常に寄り添うことにこそ価値を見出す世界。その姿勢が、多くの人の心に深く響いている。

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